離婚による子供への影響を僕の実体験からお話します

どうも、プラチナです。

今日は、少し昔の話をお話したいと思います。




僕が、小学1年生の頃の冬の事です。



僕には、当時欲しかったゲームがあってスーパーファミコンの「ドラゴンクエスト1.2」というソフトがあったのです。



僕は、そのゲームがずっと欲しくてサンタさんに届けてもらうようお願いしていました。




ゲームソフトが入るような大きな靴下は持っていなかったので、


「普通の靴下でいいかなー?入るかなー?」と母に相談していた記憶があります。



12月24日の夜には、布団に入ると(ついに、明日かー。)とプレゼントが届く事を期待してとてもそわそわしていました。




そして、迎えた12月25日の朝。




僕が目を覚ますと、






なんと、


枕元に「ドラゴンクエスト1.2」が置いてあったのです。



それを見た瞬間、「あった!!!」


と、とっさに大きな声で僕は言いました。



すると、僕がそろそろ起きると見計らってそばにいた兄が

「あーはっはっは!!!」と声高々に笑い出し部屋を出ていきました。

僕は、寝起きで状況が全く飲み込めず「(´・ω・`)????」と困惑。



むくっと布団から抜け出し、状況がよく飲み込めないままドラクエを片手に台所へ行くと




父、母、姉、兄の家族全員がいました。


うろ覚えですが、父は新聞を見ていて、母は朝食の支度、姉はテレビを見ていて、兄は僕を見てニヤニヤ。


それは、普段と何も変わらないいつもの家の風景です。




そこで、


寝起きの僕を観察していた兄が僕を馬鹿にし始めました。


「こいつ、「あった(・Д・)」だって!(笑)」


僕は「うるせー」と言って


家族みんながアハハ!と笑っている中、手に持っていたドラクエを見て(サンタさんって本当にいるんだー。)と思いました。



そのクリスマスは、今も記憶に残っていて、その時の嬉しさはよく覚えています。




・・・その後、



小学1年生の冬を超え年度末、ぽかぽかと春めいた時期に差し掛かった頃。



学校が休みの日曜日に僕が布団の中で目を覚ますと、家のどこかで口論している声が聞こえてきました。


(・・・お父さんとお母さんかな?)



僕は、眠い目をこすりながら、寝ぼけた調子で玄関の方にふらふらと歩いていくと、スーツを着て仕事に行く直前の父とそれを見送る母が台所から出てくる所でした。



遠めから二人の表情が少し見えたのですが


二人とも真剣な表情をしているように見えます。



その場のピリッとした空気を感じたので、しばらく眺めていると




父は靴を履いた後、母の方を振り返り



「・・・るから。」


うまく聞き取れませんでしたが父がボソボソと小声で何かを呟くと、



母は「わぁーーー!」と声をあげ顔を両手で覆いその場に泣き崩れてしまいました。


両膝をつき、ペタンと座り込む母を尻目に何とも言えない険しい表情で父は玄関を出ていきます。



僕は、その光景を見て何が起きているのか全く分かりませんでした。




父が出ていった後も顔を両手で覆い泣きじゃくる母。




・・・。




(こういう時は、僕がしっかりしなきゃ!)


僕は当時、ドラゴンボールの孫悟空に憧れていて、何となくヒーローぶって母の元へ。(笑)



「お母さん、僕が付いているから大丈夫だよ!」


そう言うと、僕に気づいた母は泣きながら僕の肩を抱き寄せたのです。


すすり泣く母の腕の中、



僕は何が起きたのか分からず母の肩に顎を軽く乗せ玄関に立ててあった鏡をぼーっと見つめていました。



その場の状況は全く飲み込めませんでしたが少しだけ不安な気持ちが僕の中に芽生えたのでした。






~時が経ち~




その後も母は、あの時の事を話してはくれず、その話をする度に話をすり替えます。



やがて僕は学年が上がっていくにつれ父が家に帰ってくる事が少なくなった事に気付きました。



父は、当時宮城に働きに出ていたので週末に帰ってこない事は元々多かったのですが帰ってくる頻度は以前よりも非常に少なくなっていたのです。




その事を母に聞くと、「お父さんは、単身赴任してて忙しいの」と言われました。



僕「ふーん。」


仕事をしていると、そういう事もあるのか。


特に疑う事も無く、僕はそれを真に受けていました。




ある時、


母からこんな事を言われます。



母「しゅん、名字が変わってもいい?しゅんが嫌だったら変えないでおくけど」


ん?人生にはそんな事があるのか?



僕は少し疑問に思いました。


僕「なんで変わるの?別に、変わってもいいけど?」




「お父さんとお別れする事になったから。」




僕は言葉を失いましたが、あの時、見た光景とその時の状況が一致しました。



でも、離婚する家庭は今の世の中、結構あります。




僕は父が帰ってこない生活にもすっかり慣れていたので、(まあ、仕方ないか。)と思うことにしたのです。


母、兄、姉で簡単な会議もしましたが、名字が変わることに全員納得。



小学4年生くらいになると、母はパートやアルバイトに出るようになります。



僕が高学年に上がるにつれて、学校から帰ってくると、家の明かりが点いていない事が多くなりました。




時々、学校で親しくなったばかりの友達が何人か放課後に僕の家に来ると家の外観を見るなり


「これ、おまえん家?ボロくね?」とか言うのです。



正直、ムカッとしましたが喧嘩して仲が悪くなるのも嫌だったので


僕「うるせえ!どこがお化け屋敷じゃ!普通に住めるわ!」


一同「はははは!」



全てを笑いに変えるようにしました。


なんだか、そうしないと妙に悲しくて辛かったので。




後で知った話ですが、父の仕事がうまくいっていた時は、家を買うという話をしていたそうです。


でも、それは絵に描いた餅でした。


授業参観の時も、仕事の為母が来れる時は少なくて友達が親と一緒に帰る姿を目で追いながら放課後に一人で帰る事もありました。



精神的に辛かったのは、色々な友達から「何で名字が変わったのー?」と何回も聞かれたことです。



僕「おじいちゃんの名前を継ぐ事になったから。」


母から教えられた言葉をそのまま説明していました。



(彼には、色々事情があるんだ。)




周りからそう思われている事も少なからず感じていました。


でも、子供は気になる事があったらみんな親に聞くでしょう。


僕は、気にしないようにしていました。




また、経済的に裕福ではないので高価なものはやっぱり買えません。


でも、ゲームソフトとかは時々買ってもらえていました。



僕は、ゲームが好きで本当に色々なゲームをやりこんでいました。


特に好きなのは、RPG(ロールプレイングゲーム)です。



ゲーム中のキャラの感情の変化や物語の中に入りこむ感じが好きで


ドラクエ、ファイナルファンタジー等有名なタイトルはそこそこプレイしていたと思います。



中でもドラクエ5は、父と母がモンスターにやられてしまうというストーリーだったのでプレイしていて辛かったのを覚えています(笑)




ある日、小学6年生になった頃。



学校を終えいつも通り家でゲームをしていた時夜20時を回って、いつもより母の帰りが遅いことに気付きました。



その頃は、姉も兄も完全に家を出ていて家には僕一人。


連日、働きに出て家事もこなす日々を送っている母ですから体調も心配でした。




少し不安になったので、車で20分程の所にある祖父母の家に連絡をしましたが、こっちには来てないよと言われたのです。



携帯がまだ普及していない時代。



祖父母も心配していましたが、「大丈夫、待っていれば帰ってくる」と祖父母にも自分に言い聞かせました。




・・・ですが、なかなか帰ってきません。




車の音がする度に、家の縁側から車庫を眺めていましたが時間だけが過ぎていきました。






夜11時半を回ったくらいでしょうか。




聞き覚えのあるエンジン音が聞こえ、家の縁側から車庫を覗き込むと、母の車が見えました。



「お母さんだ!!」




母が帰ってきて、ものすごく安心しました。



ですが、こんな時間に帰ってきて同時にムカッともしたので、(子供を家に置いて、こんな時間に帰ってくるなんて母親失格だね!)



と、言ってやろうと思って玄関前で待ち伏せていました。




玄関越しに、母がスーパーの袋を持っていることが分かります。



ガラガラっと母が玄関を開けると母が笑顔で「おー、ごめんごめん。」と言ったので、


僕は「遅いよ。」と言い、続けて文句を言おうとした瞬間、






なぜか、泣いてしまいました。






(・・・良かった。)



無事に帰ってきて良かった・・・。






外灯だけが点いた薄暗い玄関で恥ずかしくて涙を見せたくないにも関わらず



僕は、ボロボロ泣いてしまいました。






僕「お母さん・・・。」




体も大きい小学6年生にもなって、お母さんがなかなか帰って来ないくらいでダサイですよね。(笑)




でも、人生って何が起きるか分からないと本当に思っていたので、



毎日遅くまで働いて家事も頑張っている疲れのせいで運転中何かあったんじゃないかと考えてました。




怖かったんです。



母「ごめんね、仕事で遅くなっちゃって。すぐご飯を作るから。」


僕の頬にそっと手を当てて母は優しくそう言いました。



僕が泣きながらうなずくと、夜遅くに料理を作ってくれて。


あの時に食べた物は忘れてしまいましたが、涙ながらに食べた事は今も覚えています。




母「授業参観、行けなくてごめん。」


僕「ううん、別にいいよ。来られても恥ずかしいし。むしろ、来るなよ。(笑)」






時々、そんな会話がありました。






でも本当は・・・。






授業参観に来てほしかった






家族みんなで外食をして、美味しいご飯を一緒に食べたかった




家族みんなで色々な所に旅行に行きたかった



家族みんなで、また海に行って釣りをしたり海岸にいるカニを探したりしたかった


父方の親戚やイトコとまた遊びたかった


父方のおじいちゃんの家にもっと遊びに行きたかった


お父さんにもっと色んな事を教えてもらいたかった


好きな事をいっぱいやりたかった


両親にもっといっぱい甘えたかった


両親にわがままも言いたかった




でも、そんな事を言ってもどうにもならなくて。




失ったものが返ってくる事はありませんでした。



僕は、この時期を通じて経済的な苦しさというのは、どういうものか痛いほど分かりました。




母が、いつも笑ってお金の話や辛くなるような話をしないのは僕に心配をかけさせない為の配慮。


ゲームを買ってくれるのも。


お父さんの話をしないのも。




それでも、僕は何も気付かずに過ごしてきたのです。



僕はやがて大きくなり、社会人となり母の苦労を知りました。




将来は自分の子供に辛い思いはさせたくないと思いましたし、お金に何不自由のない生活を送るべきだと考えるようになりました。



2015年の2月には、僕の元にも娘が生まれ、妻と娘と共に楽しく日々を過ごしています。


僕は、決して今の生活が当たり前の事ではないと理解しています。



僕は、あの頃の生活を通じて1つの学びを得る事が出来ました。



それは、




【 本当に大切なものほど、目で見る事が出来ない 】という事です。


これは、様々な事に共通しています。


経済面で全く不安の無い気持ち

家族といる事の幸せな気持ちや時間

趣味や好きなことに沢山没頭できる時間

仲の良い友達との楽しい時間




目では見えない何気なく楽しく過ごせる毎日が本当に価値のあるものだと理解できたのです。




給料にプラス月収10万円というのは、一見するとそれほど魅力的には見えないかもしれません。



ですが、多くの人にとってプラス月収10万円の成果は人生を変えるほど大きなきっかけになると思います。




その為、僕はせどりで稼げるようになったら情報発信に比重を置く道を進むことを決めました。



僕の目標は、家族や大切な人を幸せにしたいと考える人を一人でも多く今よりも稼げるようにする事です。


稼げるようになった方が、

好きなものが食べられる
好きな所に旅行に行ける
好きなことが出来る
子供の教育にもお金をかけられる



きっと毎日が楽しいですし。


そして


応援したい子供や家族、友人が経済面で困っていたら少しでもいいので稼げるように教えてほしいのです。



そうしたら、みんなハッピーになれるんじゃないかなと( ̄▽ ̄)



せどりでも情報発信でも好きなように稼げるって楽しいですよ。(´∀`)
(2015年12月には、情報発信とせどりで月収130万円を達成することが出来ました。)


//ps//
不思議なもので、僕1986年の5月11日生まれで母の日に生まれたんです。



だから、母の日はお互いにプレゼントしたりとかしてました。


今は、実家から離れているので定期的にビール券や旅行券、ブランド物の小物とかをプレゼントする感じです。



母からは、こないだ岩手の新米を送ってもらいまして、妻と妻の家族にも好評を頂いてます。


もっと稼いで親孝行していきますよー。( ̄▽ ̄)



//ps.2//
家族もののドキュメンタリー番組を見たり


かりゆし58の「アンマー」を聞くと、つい感動してしまいます。



家族を思う気持ちが伝わると、共感しちゃうんですよね。


最近は、娘が生まれて特に涙腺が緩くなったなあと実感します。

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